インタビューと西尾によるメモ

5人の女の人と、記憶をたどる。
現在から始めて、去年、5年前、10年前……。
100枚の絵の中から、その時々の状態に一番フィットするものを選んでもらい、
そのとき何をしていたか、教えてもらう。

だいずさん

35歳

S.A.方程式 荒川修作 1962年制作 / 2005年収蔵 / 麻布、アクリル・鉛筆
© 2019 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission of the Estate of Madeline Gins.

スッキリしてきたところ
断捨離
たくさん使ったから寿命だなって、割り切ったりするようにして...

また混沌とするだろうけど、
ちゃんとそのたびにリセットするようにしなきゃなって

何を捨てたんだろう
(旦那さんは何か言うのかな)

割り切ろうとする
リセットしなきゃ

割り切ろうとしないと割り切れないもの、上手く区切れないまま
だいずさんの中に滞留しているもの
弟さん、お母さん
「悔しい」という言葉、感情

34歳

佐渡冥界の譜 大森運夫 1973年制作 / 1987年収蔵 / 紙本着彩・箔

日々いいときと悪いときとの差が激しくて、離乳食3回
紅葉に癒された

頼ってもいいんだけど、その手を、
こんな私が借りちゃいけない

私も誰にもとがめられるとかなければ
掃除とかしないタイプなんで

昭和の考えだと女の人が
責められちゃうから

新潟 → 大学 → 愛知 → 結婚 → 豊橋

都会に来たな...

誰に責められたり
とがめられたり
するんだろう

オンデコ 供養
島流しされた人?
名もない鉱夫

30歳

花の頭人 市川晃 1960年制作 / 1986年収蔵 / 麻布、油彩

福祉の仕事
知的障害のある方
施設の30周年

充実はしてるけど
仕事、恋愛、趣味...ギュウギュウ

自分のことが上手くできなくて

助けたい...支えたいと思うけど、
そこに自分が入り込みすぎると病んでしまう

でも小さなステップでも
できるようになると
嬉しい、楽しい

時間のマネジメント
整理が苦手
親近感

不完全燃焼
うまく区切れなかったな

「助けたい」という
言葉を使うのには
抵抗があるもんなのかな

ダンスしてたって聞いたけど、
この「趣味」の中に含まれてたのかな

25歳

玉子にスプーンA 上田薫 1986年制作 / 2005年収蔵 / 麻布、アクリル・油彩

なめらか
きらめいている

楽しかった 充実してた
パァ ごめんね

このなめらかさが
上のギュウギュウさに
なっていってしまったんだ
と思うと ギュッとなる

子供にかける声が
いろいろ優しい

10歳

ぼくたちの踊る踊り 田島征三 1977年制作 / 1990年収蔵 / 紙本着彩

暗かった
担任の先生が苦手だった
おばちゃんのパーマ
生徒を叱るやり方が怖い、体罰

↑ そこを切り離せばいいのに

↑ そんな風に考えなくても
いいような気がしてしまうけど

写真に映ってた表情を見ても、
あんまり良くなかった

クラスの男の子、女の子の目線が怖い
強く意見を言えた人の方にみんなが向くけど
悔しい...けど歯向かえない

10歳のだいずさんは髪が長かったか短かったか
どんな表情をしていたんだろ

(テキトーな内容でも)
強く意見を言える人の方にみんな向く

「悔しい...けど歯向かえない」

0歳

人体による作品 星野眞吾 1966年制作 / 1985年収蔵 / 紙本着彩・箔
  • だいずさん

女の子が生まれて嬉しかった

生まれたときどんなだったか聞いてるか?
→ 聞いたけど、だいぶ薄れちゃった

よく眠ってる子
夏の暑い日、太陽
自分の名前のイメージ

生まれたときの様子、
お母さんに聞いたのかな

誕生日が私と一日ちがいだった

大豆さんと弟さんのことが聞きたい。弟さんのこと、好きなんだろうなと思った。私にも弟がいる。3才年下で、今は私よりはるかにしっかり社会に適応してるけど、小学校で不登校だった。

ダンスのこと。だいずさんは振付をされるんだろうか? 話を聞いていて、だいずさんはちょっと優しすぎるのか、色んなことを我慢したり、自分の方が変わることで物事(問題)に応じようとしてきた部分があるのかなと思った。

だいずさんに向かってかかっている圧力や影響が、ダンスという形で外に出るとき、どういう表れ方をするのかすごく興味がある。(今回ずっと手を見ていたからか。指だけの極小のダンスとかいいんじゃないかと思った)

仕事を辞めるときに上手く区切れなかったというのがどういうことなのか。 「不完全燃焼」について聞きたい。私の中にも、不完全な区切りだったまま続いて残ってしまっているものが色々ある。→ 断捨離?

悔しいという感情について。10才のときの話で「悔しい」という言葉が出たのがなんだかちょっと意外な気がした。でも一方で、だいずさんの中に常々そういう感情は存在してきたのかな、とも思った。

声が繊細でやさしい。声質というか、発声の仕方だと思うけど。だいずさんに絵本を朗読してもらうならどんな本がいいだろう?と考えた。紙芝居でもいいかもしれない。→ 河村さんにお願いしてみる?

紅葉に癒される。と、たしか小鳥さんも言ってたような?私はたぶん、紅葉にいやされたな — という経験がこれまでない。山登りにはいやされる。だいずさんと小鳥さんと、一緒に紅葉を見に山に行く。と考えたらちょっと楽しい。

『じごくのそうべえ』
 田島征三

『おしいれのぼうけん』
 悔しさ、大人に罰される

私は森崎和江が炭鉱の女のひとたちと集まって言葉を交わしたようなことがしたかったのかもしれない......?

謎の仮名で呼び合う関係(友達になれるのか?)

自立とは依存先を増やすこと。

+

りんごさん

35歳

黄色い家 荻須高徳 1984年制作 / 1991年収蔵 / 麻布、油彩

今の仕事は経理
配属されたらそれをやる、から、
次どんなお仕事をするか全然分からない

フランス? パリの裏町
白と黄色が、今の心の穏やかさ、明るさと近い
この黄色が普通の黄色じゃなくて目につく

83才
観光地でも名所でもないっていうのがいいなあ
外国のなんでもない写真とかが好き

34歳

田中桂一 1962年制作 / 1979年収蔵 / 紙本着彩・箔

2019年は今の職場に移ったばかり
仕事を覚えるのに必死だった
↑ その前は文化関係、イベント、施設管理

ようやく仕事が覚えられた、ていう絵
どういう所なんだろう 迷路みたい
たぶん黄色が好きなんだと思う

だいぶペースがつかめてきて、穏やか

あんまりアップダウンがない
わりとすぐケロッとしてる

奥がありそう
見ながらどんどん進んで歩いて見て回れそう
像は日本のお寺っぽいけど日本じゃない
......タイ?

30歳

工場 石河彦男 1954年制作 / 1989年収蔵 / 麻布、油彩

職場が変わって今よりだいぶ忙しかった
いっぱいいっぱい 詰まってる 重さがある
漠然と、30になったっていうのが。
何かが変わったわけじゃないけど、「30か......」

6ヶ月の娘を見てると、34才って68倍か。果てしない...
「もう34」と思ってたけど、親からしたら「やっと」かも
余白が少ない ミチミチミチ...... 日々が......
お休みがあっても精神的にいっぱいいっぱい

忙しさは量じゃない、自分のペースがつかめればやれるけど

「いっぱいいっぱいの絵」

25歳

路・波の国から 平松礼二 1992年制作 / 2000年収蔵 / 紙本着彩(二曲一隻屏風)

25才のときは今より遊んでた
友達も結婚して出産してライフスタイルが変わる
そういうのに気兼ねなく遊んでたのは25才のとき

誰も悪くなくて、
ただ知らないうちに
ちがってしまってスレちがう、
遠ざかる

今よりもうちょっと外に出てた
旅行に行ったりライブに行ったり
アンテナ張って...

仕事終わってから名古屋行って
(ライブのチケット代でとんでいくから普通電車)
25だとまだお金もないし
今思うと ようやってたな

その当時の曲を今聴いたら、
若いな、元気だな、

けっこうノリが激しい
ヴィジュアル系とか??

でも今聴いてもやっぱりいいなと思う
ライブまた行きたいな

夜の風景だけどそれでも明るい、華やか
その当時のこと、もう思い出で美化されてるかも
しれないけど
、楽しかったな

10年前ってもう美化されてるか、
そうだよな......

ずっと好きなものは
また戻ってくる
中学生から好きなバンドは
(熱量は変わっても)
ずっと好きは好き

いま私も、
夜に出かけることが
ほどんどない。
それで落ち着いて安心してるけど、
ずーっとかな...と思ったりする。

夜の街の明るさ
華やかさ
(ソワレを見に行くのは難しい)

20歳

S.A.方程式 荒川修作 1962年制作 / 2005年収蔵 / 麻布、アクリル・鉛筆
© 2019 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission of the Estate of Madeline Gins.

成人式は楽しかった
小学校ぶりの女の子 → お化粧してる!
中学生の頃ヤンチャだった子 → しっかり働いてる、大人になった

まだ何も決まってない

「大学に、行ってたんですけど」

大学進学は当たり前じゃないよなと、
ちょっとハッとさせられた

日本史 →
「大学でやってたことを活かして〜します!」と
就活で言えなかった
好きで選んだけど、私には何もないんかな...

今の生活には活かしてるとかは正直ない
でも自分が好きだなと思ったことを4年間できたのは
いい時間の過ごし方だった

↑ こういう時間は大人にも必要
(クリエイティビティの自転車操業)

趣味の合う、私よりお寺に詳しい子と
解説付きの旅行に行ったり

いい友達関係だなあ

日本史が好きだった
昔の人がどういう風に過ごしてたのか
お寺とかお城で、ここに昔こんな人がいたんだ...とか
お寺とかですごい細かい細工があって、
「こんなことができたんだ!」
それが今も残ってる、とか

りんごさんのこの話が
とても好き

最初の入りは偉人のマンガ

15歳

作品 浅野弥衛 1968年制作 / 2005年収蔵 / 麻布、油彩

受験でいっぱいいっぱい
今までで一番辛かった試験は就活

中高大学受験はやればやった分、目に見えて分かるけど、
そういう分かりやすいものがなくて、ツラかったなあ〜

「故郷に帰った自由を感じる」
ただ点を描いただけじゃないんですね

これは自由だったのか!

10歳

男と女 中村正義 1963年制作 / 1982年収蔵 / 紙本着彩

小学校4年のときに新しい学校ができたので、3年スパンだった

新興住宅地
生徒が増えすぎたから
一クラス35〜36人

私たちが子供のときは
まだ少子化していなかった!

色味・・・不安と期待

小3で仲がよかった子がみんな旧学校に残る方だった
すごくさみしかったし、どんな感じなんだろう...

全然ちがう学校の子と一緒になる
→ 本当なら中学生まで体験しないことを小学生のうちに体験した
でもすぐなじんだ

よく転んでた
古い学校のときは子供の足で30分

まだ体もちっちゃくて、ランドセルも重くて、運動神経も...
バンソウコウを常に持ってた

クラス替え、席替えですらドキドキした

私は成人式に出なかったので、
「成人式で小学校ぶりに会う子がいる」
ことが普通じゃないって、
インタビュー時点では理解していなかった。
(ふつう中学も一緒)

よく転んですり傷にバンソウコウ
貼ってる子供のりんごさんを想像する...

りんごさんの日本史の話がとても好きだった。分かりやすく見えやすい形で今の生活に活かしていなくても、過ごした時間は必ず現在に流れ込んでいる。言葉で説明できる意味や効能よりも、時間や存在は大きい。プレゼンして他人に納得してもらうために何かを好きなわけじゃない。

出産してライフスタイルが変わった。今までのようには出来ないことが色々ある。その自分の都合をことさらに話したいわけではないし、相手に気を遣わせるのも悪い気がして、ただ「話さない」を選ぶことが多い。そうすると内側であーだこーだ考えたことはただ「見えなく」て、無言のまま遠ざかってしまう。そうやって「見えない」「知られない」事柄について、考えることが増えた。見えるようになった方がいいのかというと、よく分からない。それはたぶん、子供の写真が家族とか関係者には可愛くて面白いけど他人はそこまで興味が持てないように、すごくささやかな文脈や関係性を全部共有するのは不可能(だし望んでない)みたいなこと。

でも見えなくても存在している。
歴史を学ぶということは、今見えやすく存在しているわけじゃない時間や誰かに思いを馳せることかもしれないと、りんごさんの話を聞いていて思った。

小学生のときの不安さを久しぶりに思い出した。いっくんが「大学生って不安定」と言っててそれも納得したけど、大学生の不安がアイデンティティとか社会的なことによって生み出される不安だとしたら、小学生の不安はもっと生き物としての不安というか、まだ存在自体が本質的に不定形な人たちの危うさという気がする。

クアラルンプールの日本人学校は、みんな親の都合で来たり帰国したりだったから、同じメンバーで全員そろって上がっていく感覚が薄かった。どうせメンバーが入れ替わってしまうから、多少浮いていても平気な空気があったし、お別れが突然来ると知っていた。離れてから何人かと文通してたけど、いつのまにか途切れてしまった。今思うと、子供って無力だったなあ。

りんごさんが25才のとき好きだったバンドと中学生の頃から好きなバンドの曲を聴いてみたい。今も音楽活動を続けてるっていうのは、すごいことだな。つくり続けられるということは、奇跡みたいなことだと思うようになっている。私が小学生のときに初めて買ったCDは川本真琴のアルバムだった。

小鳥さん

35歳

民話より 芥川沙織 1954年制作 / 2000年収蔵 / 綿布、染色

ワーッていう
なんかもうワーッ
てんてこまい

この人、...人?
もぉーっ!!!(エネルギー)

展覧会! ワー!!!
最終日!!!

インタビューの後で丸地さん(学芸員さん)
から聞いたこの絵のバックグラウンド。
声楽家だった芥川は結婚して夫に歌を封じられた。

足の刺みたいなのも攻撃的

躍動感

この人...カニ......?
生き物感

よく見ると、これが目?

カニの目のところ、おっぱいみたいにも見える。

美術館とかには縁のない人生だったけど、ここに来て、
展覧会の手伝いをするのは楽しい

今年で3年目

初めはルールを覚えるのでいっぱいいっぱい
↓ 3年
みんなと一緒に展覧会をつくり上げる
提案したりするポジションになって楽しい

事務の仕事は異動異動

↑学芸員さんは異動はないけど

生まれも育ちも豊橋

焦り、怒り、攻撃的...みたいな
ネガティブ寄りの単語を話していても
小鳥さんの口から出ると明るさがある

34歳

路・波の国から 平松礼二 1992年制作 / 2000年収蔵 / 紙本着彩(二曲一隻屏風)

あんまりこうコレ!って思い付かなかったので
穏やかだったんじゃないかなって。
ディズニー行ったり、旅行もできてた

↔ コロナってことか

仕事も2年目なので慣れてきて。
トラブルもなく。

紅葉かなと思ったけど、花...?

ディズニーランド♡♡ ああ〜〜♡

ディズニーランド、「ああ〜〜♡」
と言った声に、ホントに好きなんだなと。

ショーとかパレードを見に行くのが好き。
季節ごと。春に行き、夏に行き。

秋は...?ハロウィン。

そりゃそうか

自分がディズニーに行かなさすぎて、
何を尋けばいいのか分からなかった。

1時間前から行かないと
いい場所が取れない。

パレードを見るときの心構え
(ってなんだよ...)

ディズニーランドの中の配置を
当然知っている指

30歳

小路にて 朝倉勝治 1976年制作 / 1983年収蔵 / 麻布、油彩

辞めて半年、一番遊んでいた時期
楽しそうな街並みの風景

色んなところに行っていた.パッと出てこないけど
外国っぽい街並みが好き
ディズニーもそうだけど

船があって、港町っぽい
神戸の港町とか異人館が好き
洋のタテモノ

旅行とかで遊びに行くのは楽しいけど、
どこかに住んでみたいと思ったことはない


目黒 → 溝の口 → クアラルンプール → 調布 → 溝の口 → 千駄木 → 仙川 → 田無 → 挟山

豊橋は暮らしやすいし新幹線も停まるし
あんまり都会都会してると、「ああ〜こんなところじゃ暮らせない...」

自然もあるし街もあるし(豊橋)

豊橋じゃないところで一年働いてみて、
どうだったんだろう

次への準備期間...
もありつつ、でも遊んじゃう

と言った声に小鳥さんらしさを感じた
(まだよく知らないけど)

筆記試験のあるところは落ちちゃって...
勉強してきたのは結局通用しなかった

「アルバイトみたいな感じなんですけど」
と言った小鳥さんの声に含まれた何となくのニュアンス

司書さん、学芸員さん = 専門職
狭き門...

25歳

望郷の祭 浅田蘇泉 1982年制作 / 1983年収蔵 / 紙本着彩

お祭みたいな感じ
テーマパークで1年働いた後にチラシ、ポスターを作る
デザイン系に配属

1年目は色々回って
改めて「あなたはここですよ」

25才 = 3年目、4年目
任されてイベントの中に入っていって頑張ってる
お祭り、やってる人の一員

帰りが遅くなったり...

前後関係がちょっと...

いきなり和な感じに驚いた
(テーマパーク?)

花祭り
テーホへテホへ
一昼夜
11月〜3月にかけて

「これ燃えてませんか?大丈夫?」
「テーホへは誰が言うんですかね?」
「これでクライマックス? 祭り総決算」

お祭り、赤、熱
中にいる

「中にいる」ことの絵として小鳥さんは
この絵を選んでくれたけど、どこにいるのかが、
なんか分からなかった

芥川沙織《民話より》となんか似てる
25才の小鳥さんと35才の小鳥さんは
似た環境に身を置いている......?

20歳

毛皮の衿のオーバーの女 松下春雄 1932年制作 / 1999年収蔵 / 麻布、油彩

なんにも考えてない。
どっしり構えてる。
未来のことなんにも考えてないぞ。

大学も途中まで演劇のサークル
やったりやらなかったり

演劇では、役者と裏方
どっちだったのかな?

まだゼミだとか課題にも
追われてなく...

毎日友達と、空いてるコマでカラオケ
「あ〜もうすぐ向かわなきゃ!!......
今日はもう行かないっ」

女子大生の無敵感

「一限? ムリでしょ」
「明日いく?」「行かなーい」
みたいな意志の強さ

小鳥さんの手で「無敵感」が
なんとなく分かった

友達は行かないのに私はこれをとる
誘惑に負ける

30才のところで
小鳥さんらしさを感じた
声の部分と通じる
「次への準備期間...
もありつつでも遊んじゃう」

3分の2出席すればよしルール
→ 「まだイケるよ〜」

私は大学生のときの
なんにも考えてなかった
感じを「軽さ」だと
思ってた(今の方が重い)

こっちの方がよかった
「年代が良さそうな
娘が出てきました...」

言い回しが面白かった

↑この無敵感
(というかハタチ感)
はすごく分かった

15歳

マイタウン・タカミネ 島田章三 1990年制作 / 1990年収蔵 / 麻布、油彩

小中までは地域の友達で固まってたのが
離れ離れになっちゃう
受験も受かるのか......漠然と不安

私はマレーシアから帰国して、
日本では地域で固まったまま上がってくのが
しんどいな〜と思ってた

自分の進む道が...

仲良かった子が私立に行っちゃったり
高校で高校のグループもまたできるけど、
「今まで」とは変わっちゃう

今でも仲がいいのは大学の友達が多い

小鳥さんは無敵の頃を一緒に過ごした友達と、
今どんな風に遊ぶんだろう?

タカミネは名古屋 昭和区
活気、躍動感 若々しく!!!

「どこに向かえばいいのか?」
「この道は大丈夫なのか?」
って感じかと思った(笑)

分かんないもんですねえ〜〜

色合いも暗いし

小鳥さんと私、けっこう色んなところで違っていると思った。豊橋生まれ豊橋育ちの小鳥さんと、かなり色んな街を移り住んできた私。小鳥さんが安心を感じる状態に、私は居心地の悪さを感じるかもなと思ったり、きっと逆もある。でも二人とも、演劇をやっていた。小鳥さんの好きな舞台を一緒に見に行きたい。

仕事の中で、異動して異動して新しいことを習得していくというのが、どんな経験なんだろう?そういえば私は、仕事としては基本的にずっと一つのことをやり続けている。この仕事で色んなとこに行くけれど、やってることはずっと続いている。

友達といるときの小鳥さんがどんな風なのか、あまり想像がつかない。会ってみたい。一緒に小鳥さんの働いていたテーマパークか、花祭に行くのはどうだろう?花祭、調べたら鎌倉時代末期あたりから700年続いてる伝統芸能らしい。18時から翌日の11時(長いと14時)頃までやってる。すごい。見たい。2020年度はコロナの影響でのきなみ中止になってた。心配。小鳥さんの友達とはやっぱりテーマパークに一緒に行って、花祭には今回のインタビュイーのみなさんと行ってみたい気持ちになってきた。

そういえば、小鳥さんのご家族の話を何も聞かなかったな。なんとなく勝手に、小鳥さんはお父さんかお母さんのどちらかにめちゃくちゃ似ていそう。そしてすごく大事にされてきたんじゃないかという気がする。ご実家に小鳥さんの立派なおひなさまがありそうな気がする。

いっくんさん

35歳

黒い風景 其の参 野田弘志 1973年制作 / 2004年収蔵 / 麻布、油彩

説明(文字)に引っ張られる
でもタイトルは見てなかった!

(7年くらい会社にいた)
フリーになろうと思って辞めたわけじゃ
なかったけど、結果、いっかあ!

夏に会社を辞めてフリーになった
→ 更地、裸一貫
自分はなんて無力なんだ...
でも取材先で出会った人とか
友人とのつながりは途切れない
希望だな、心から大切にしたいな

生と死の対比 ≒ 今の自分っぽい

......と言いつつ、蛾はどこ?
見つけられてないけど(笑)

2人で「どこ?」って言ってたけど、普通にこれでは?

今、いいとこ。楽しい!
作者の意図と違いそうだけど希望を感じた

全然ここに物哀しさは感じない
そこまで絶望的なイメージじゃない

すごくオシャレで素敵な服を
着て来てくれた(ロンハーマン?)

34歳

花の頭人 市川晃 1960年制作 / 1986年収蔵 / 麻布、油彩

ぐちゃぐちゃ
すごい悩んでた時期
これもやらなきゃ、あれもやらなきゃ、もっと自分高めなきゃ

自分がここまで高まっていて欲しい、
スキルが上がっていて欲しい、こうなりたい、のビジョン
に追いついてなかった

めっちゃ焦ってた
私の中心は仕事
去年の自分があんまり好きじゃない
「こうなっていたかった」に届かなすぎた

後悔ってものをホントにしたくない
でも去年は後悔が残ってた

あー自分ダメだ自分ダメだ自分ダメだ...
って毎日思ってて、それで年末まで

すごく自分に期待してるし厳しいのかな。すごい。
「やろうと思ってたのにやらなかった」ばっかりだよ私なんて...

で、結局どうやって切り替えられたんだろう?

30歳

グァディスの家 三岸節子 1988年制作 / 1991年収蔵 / 麻布、油彩

30才はめちゃめちゃ楽しかった
今も毎年すごい楽しいけど
戻りたい感覚はない

私も戻りたいと思わないけど、
それはいつも過去が超大変で暗黒だから

エネルギッシュ 今よりもっとハッキリしてた

今もハッキリしてるけど(私からすると)

30才って女性的には節目のイメージ
年齢というものから真に解放されたい年齢

ファイティングポーズはずっと維持してる
ちょっとだけ肩の力抜けた...かな...

三岸節子の他の絵も見たい。
どんな人生を送って、この絵に至ったんだろう。
どうしてスペインに行ったんだろう。

また80才のときにこうなってたい
30才のときの自分がまた戻ってくるといいな

この感覚がすごく新鮮だった
共感はそんなにしないけどいいなと思った

女の人で80を超えて、描き続けて、素敵ですね
スペイン
青の色味がたまらん

私の30才は、
大きな期待とともに始まって
そしてそれが打ち砕かれた年だった

セゾンのフェローになって、
鳥公園の劇団員が増えて、自分が他人を背負えるんじゃないかと思ってた

三岸節子(1905—1999)
裕福な家に生まれたが、家が倒産してショックで絵の道へ(なんで?)。19才で結婚して29才で夫と死別。1946年、女流画家協会を設立。49才のとき息子が留学していたフランスに渡り、息子とヨーロッパ各地へ。
愛知県一宮市に三岸節子記念美術館がある。名古屋駅から電車とバスで40分。
行ってみたいなあ。

25歳

鋼鉄による作品 長い手紙-O 久野真 1988年制作 / 2004年収蔵 / ステンレス・スチール

住んでたのは世田谷、働いてたのは銀座
歌舞伎座のへん

大学卒業 → 1年半〜2年くらい就職浪人(編集の専門学校)
→ ちゃんと自分を変えよ!と思って3年東京へ

選んでもらえなくても、やりたいから
妥協しないで就職浪人しちゃっただけ
夢を追い続けられる
リスクがおかせる家庭環境だったことは、感謝しかない
裏でめっちゃ心配してるかもしれないけど、
何も言わない家族

分かる

早く安心させたいなあ

特にそう思わない

東京は自分が一生暮らす街じゃないと思った
豊橋は、自分がここにいる意味が持てる

この街の歯車になれてる実感は持てない
そういう実感を持てる方が楽しい

私が助成金もらって作品つくることに感じる
居心地の悪さ(言葉が浮いてる...?)

私が一番ローカル感もってる土地は調布(国領)。
次がクアラルンプール

ある土地の歯車になれてるって思ったことない
(なりたいと思ったこともないかも......)

町...こぢんまり、ローカル
↔ 街...もう少し大きい

街の歯車になってる人たちと接してきた(仕事で)
→ 実感をふつうの人より得られた

小倉と枝光に行ったとき、郷土愛みたいなものを感じた。そのときはちょっとうらやましく思った。特に枝光で、演劇が町に根差して受け入れられて求められてる感じがしたから。(一方私は東京で、誰に向けてやっているのか?誰かに求められているのか......?)

小倉生まれで劇場で働いてた同世代の女の人が、「東京に働きに出たら裏切るような感覚がある」と言っていた(衝撃)。

patriotism
≒ どちらかというと郷土愛?土地と身体という実態がある
nationalism
実体がない人為的に引かれた境界線

ネトウヨはpatriotismじゃなくてnationalism?
身体がない感じ。

20歳

シーレの部屋 三尾公三 1989年制作 / 1991年収蔵 / 板、アクリル

大学生、何でもやって何でもできる
でも今の方が楽しいけど

虚像 ボヤ〜ッとしてる 存在が不安定
思春期よりおぼろ... 自分自身の存在も考え方も

あの4年間って謎
夢をもって頑張ってる人とそうじゃない大学生の差

ほんと、日本の大学生ってなんなんだろ

前の絵のページから、次に開いたページの絵に即決してて笑った

15歳

夕陽 黒田清輝 1898年制作 / 2004年収蔵 / 板、油彩

本当に私 過去を振り返らないので
→ 先については、「80代でこうなってたい」とか
ボヤッとくらいしかない
今回のコロナで、先を読んでも意味ないと思った
それより毎日やりたいと思ったことを
積み重ねてく方がいい

中学はボヤ〜ッとしてた
ボンヤリ、自然な( ↔ artificial 人間の努力?)感じ
自分の記憶もボヤッとしてる

中3は受験 公立の中学、公立の高校
ボヤボヤ〜ッとした感じ

このボヤ〜が《グアディスの家》の
クッキリになったと思うと面白い

フランス? 芦ノ湖?
夕方にも朝にもどっちにも見える。
でも朝の方が希望を感じるかも

いっくんの口から「希望」という言葉がたびたび現れる

10歳

ぼくたちの踊る踊り 田島征三 1977年制作 / 1990年収蔵 / 紙本着彩

水泳やってたんで
これ魚じゃないのかな
ちがった、鳥でした

この手も魚だと思っちゃった。
田島さんゴメンナサイ

水の中で生活したいくらい水泳が好きだった
一生泳ぎ続けれる
クロールの選手

元々ほんとに小さい頃 喘息があって体力づくりで
(幼稚園とか)
→ そのあと豊橋に引っ越し

(喘息は)高校3年の最後の体育祭前に再発、それっきり

先生はいない
近所のオジサンとかオバサンとか来てる

独学で、こうやったらフォーム、速くなるかな...

絵の感想:
筋肉隆々 元気 かわいい
でもこの部分なんですかね? 生々しい 気持ち悪い でもいい感じ

その場では言わなかったけど、ペニスっぽいと思った

5歳

人体による作品 星野眞吾 1966年制作 / 1985年収蔵 / 紙本着彩・箔

空白がある

すごい変な幼稚園でめちゃくちゃ運動させられた

縄とびを1000回飛んだ
2番目くらいに飛んだ

広い園庭 運動の記憶しかない

“青いやかん” “紫のカガミ”

謎のオマジナイに怯えてた
“ここの橋渡るときに息止めてないと死ぬ”
“これを何日後まで覚えてると死ぬ”

全然違う絵なんだろうな(作者の意図からしたら)

0歳

回廊のステンドグラス(バルセロナ) 大久保泰 1983年制作 / 1989年収蔵 / 麻布、油彩

土曜日のお昼ぐらいに生まれた
土曜の午後〜の出産はプラスでお金がかかる
「ギリギリ 生まれてくれてありがとね」

0才のときに祖父が亡くなった
葬儀場でハイハイしてる写真を覚えてる
生と死

喜んでくれてたか分からないけどギリギリ会えてよかったな

私は生まれたとき仮死状態だった(らしい)
聞くばかりで実感はないけど

生命のエネルギーってすごい
こうやって会ってお話しできてるのが

0才のときの絵を誰視点でえらべばいいのか、
この絵だけ唯一すごく悩んでいた

祖父のイメージ
海外旅行が好きな人だったので バルセロナ

いっくんと話して、就活前にRMC(リクルートメディアコミュニケーションズ)でインターンしたときのことを思い出した。あの1ヶ月弱くらい(だったか?)、銀座に通った。いっくんは文字を読む人なんだなあ。作者の意図のことを何度か気にかけていた。それが何となく、取材をお仕事でする人だからかなと思った。

インタビューさせてもらった5人の中で一番豊橋を外から見ているように感じた。そしてその人が、「この街の歯車になりたい」と言ってたのが興味深く感じた。「豊橋の面白さを知ってほしい」と。

絵を選ぶのがホントに即決で、そんないっくんが2019年に一体何をそんなに悩んでいたのか気になる。自分ダメだ自分ダメだ...って毎日思って年末までいって、どうやってそこから抜け出せたのかな。34才って前厄だけど、おはらいしたかな。(私は気付かず通り過ぎた。)

「女性として」ってことが何度か出てきたけど、いっくんはこれまでどのくらい女性として悔しい思いをしたり、困難にぶつかったりしてきたんだろう。影響を受けてる女性の先輩とか、いたりするかな。

いっくんがこれまで出会ってきて、「街の歯車になる」ということの実感を得るに至った人たちに私も会ってみたい。いっくんが取材して、どんな記事を書くのか読んでみたい。物事の暗い面を見つめてしまいがちな私とちがって、いっくんの切り取り方は明るそう。

葬儀場でハイハイしてるいっくんの写真があるってことは、比較的明るいお葬式だったのかな?おじいさん、十分長生きされたのかしら。「生と死」って言葉も何度か出てきたけど、それはいっくんの中にあるテーマなのか?何かそれがテーマになるようなきっかけがあったのかな?

みかんさん

35歳

砂利の敷いてある道 椿貞雄 1916年制作 / 1997年収蔵 / 麻布、油彩

最近すごい秋晴れで、今日も空キレイだなーと思いながら来た

先週も新幹線に乗った。日常から離れて、非日常。
平日はずっと仕事
三連休は、晴れてるイメージ。ちょっと天気崩れたりもしたけど。

みかんさんにとっては、お天気がけっこう重要なのかな。
(と、インタビュー中には気付くことができなかった)

新幹線に乗ること、
みかんさんにとってどのくらい特別なことなんだろう?
その特別具合も人によってちがうよな。

先週新幹線に乗ってどこに行ったのか、
もう少し聞けばよかった。
みかんさんももう少し話したいと
思ってくれてたかも?

34歳

慰問サーカス 石川新一 1943年制作 / 1984年収蔵 / 紙、鉛筆・水彩

去年はあいちトリエンナーレの騒動のイメージ
追っかけのように毎日、同じような人たちと
イベントを見に行ったり、話したり。
Twitterすごい見てた

SNS上
悪口合戦、代理戦争
実際の会場
静か「そんな騒動あるの?」
県美だけはものものしかったけど...

みかんさんから初めて
あいちトリエンナーレの話が出てきた

人がいっぱいいた
(今はこんな風に密集できないのも含め)
私たちは観客で、見てる

静か? サーカス?

30歳

夢想家の部屋 藪野健 1977年制作 / 2003年収蔵 / 麻布、油彩

30才...20と30の違い
アラサー、アラフォー
→ 後半になったらもう30の気分だったかも
30代にマルをつけなきゃいけない、客観的には全然違う

たしかに私もみかんさんも、
客観的に統計処理されるなら「30代・女性」の数字の1人

2015年はあんまり愛知にいなかった

フランス(ワーホリ 3月まで)
→ 愛知 → 海外旅行 → 沖縄(リゾートバイト)

やってみたかったけど体力いった
夏の間だけ

旅行は一人で行く派っぽい

今じゃそんなに移動できないな(コロナ)

「どうしよう、心情かあ...」
みかんさんは、自分の心情と絵を結び付けることに
ちょっと抵抗があったのかな?

血管? 血が出てる?
動脈と静脈

これも空が青い
旅行が好き(今は行けなくて...)

25歳

贖罪 大島哲以 1974年制作 / 1990年収蔵 / 絹本着彩・箔

あいちトリエンナーレ、まだ全然知らなくて、
作品を見に行くだけだった
色んなイベントを地元でやってるのに気付かなくて

楽しみって作品を見るだけじゃないんだな
衝撃...

長者町の古民家
一人しか通れない階段を上って二階で作品を見た

瀬戸内とかでアートを楽しんでた
→ それが地元で!嬉しい!

東京以外はみんなある程度地元愛あるんじゃないかな
東京は、みんなが行く場所

イメージの中の「東京」
↔ 現実に人が住んで生活がある東京

20歳

流紋 中村岳陵 1939年制作 / 2005年収蔵 / 絹本着彩(二曲一隻屏風)

万博?
自分の地元じゃなければイベントなんて忘れちゃう、そんなもの

みんな一緒じゃないとって、小学生ですらある
流行の歌を知らなくて、変わり者扱い
でも意地になって知らないままでいた

↔ 「ハバにされるんじゃないか」(知らないことを隠す)

方言?

みかんさんのこと、もっと知りたかった。上手く聞けなかったなあという思いがある。インタビューしながらも、そう思っていたんだけど、引き出す技術ということだけじゃなくて、実はあの場で話してくれていた言葉を私がちゃんと聞けていなかったんじゃないか?と改めて聞き返して思った。

例えば天気の話を、会話の入口としてするんじゃなくて、そこが本当に大事なことである。話しながら私は、みかんさんのことを聞きたいんだけどなかなか入っていけないなあと思っていた。質問をするんだけど、更に質問の意図を尋ねる質問が返ってきたりして、どうも私が喋ってしまって、でも私の想定するのとは違う形でみかんさんは話していたのかも。とか。
(言語優位の拾い方△)

今回インタビューさせてもらった5人で三岸節子記念美術館と花祭を見に行ってみたい。花祭のようなアートというより芸能に属すものを、みかんさんはどう見るんだろう?私がアートに感じている違和感(アートに、というよりアート界かな)と芸能に抱いている無責任な憧れのようなもの。アートは、アーティストと観客が分かれていて、両方必要だけど、芸能に観客が必要かというとそうじゃない。誰と誰のあいだにコミュニケーションを生み出すかのちがい。「観客のために」とか、逆に「観客のためじゃなくて自分のやりたいことをやる」とか、どっちも結局観客を必要としてる。

今まで観客の存在を疑ったことはなかった。でも今私は観客のことを考え直したい、というか、観客について当然のように考えに入れて考えることをやめたいと思っているのかもしれない............?
それがどういうことなのか、ちょっと危うい方向に進みそうで心配だけど。

+